三井倉庫グループ

One to One-hundred.

三井倉庫ホールディングス株式会社

INTERVIEW 03

今日を止めないことが、
最大の誇り。

利島 徹哉
関西支社 関西第1支店 六甲ターミナル事務所
2022年入社

きっかけは、災害だった。

物流業界を志すきっかけになったのは、2018年に起きた西日本豪雨。岡山、広島を中心として、住宅8,000棟以上が全半壊した記録的な災害だ。私の祖父母が被災者だったこともあり、父と一緒に復興支援のボランティアに参加した。避難所には毎日、大量の食料や生活必需品などが届けられていた。必要な物が、必要なタイミングで届く。物流というライフラインの重要さを肌で感じた瞬間だった。
そのときから自分の挑戦の舞台を物流業界と決め、三井倉庫ホールディングスに入社。研修を経て「六甲ターミナル」に配属になった。ターミナルは物流の玄関口と呼ばれ、あらゆる国や地域から船舶が往来し、日々大量のコンテナの積み降ろしが行われる場所だ。“物流”と聞けば、多くの人はトラックの運送を思い浮かべるかもしれないが、ヤードいっぱいに山積みになったコンテナの壮観を見れば、誰もがそのイメージを覆されるだろう。物流は、想像よりもずっとダイナミックだった。ターミナルを起点にして、メーカーや商社を経由し、あらゆるモノが消費者のもとへ届けられていく。物流は、血流に喩えられることがよくあるが、ターミナルはいわば心臓のようなものかもしれない。人々の生活の源流に立って、社会を支えられるこの仕事は、私の胸を使命感で熱くさせた。

コンテナターミナルの司令塔。

私はいま、「六甲ターミナル」でプランナー兼フォアマンという業務を任されている。プランナーとは、コンテナを積み降ろす荷役の際に、コンテナの配置や作業の手順を計画する業務だ。コンテナと一口に言ってもさまざまで、種類によって積み方の規定が異なる。たとえば、ガスなど可燃性の物を積んだコンテナは、エンジンルームから一定以上離さなければならない。また、積み降ろす順番を決めるのにも気が抜けない。船の片側ばかりにコンテナを積めば、船体が傾いてしまい、転覆の危険性が高まる。数百個あるコンテナひとつ一つの特性や重量を計算に入れ、しっかりと安全を確保したうえで作業ができるかどうか。さまざまな規制をクリアしながらプランニングするのは、まるでパズルのようだ。
作成したプランは、コンテナ船の航海士と確認をとりながら細部を詰めていく。航海士は外国人なのでやりとりは英語だ。特に勉強をしていたわけではないが、必要な環境に身を置かれると自然と身につくものらしい。先輩のやりとりをマネしているうちに自然と話せるようになっていた。
船が入港すると、あらかじめプランニングした通りに作業が行われるよう、現場で船員や作業員を指揮するのがフォアマンの仕事だ。もしトラブルなどがあれば、現場の司令塔として、その場でプランを書き換え、迅速に対応しなければならない。

何もない日々を、
つくり続けていく。

入社して半年も経たないころ、ターミナルを運営していくうえでの責任感を、より一層強める出来事があった。ある日、フォアマンとして現場に出ていると、船上から船員たちの騒ぎ声が聞こえてきた。駆けつけて事情を聞くと、ガントリークレーンというコンテナを持ち上げるための装置の一部が、船倉に引っかかって取れなくなっていたのだ。無理に引き上げようとすれば、クレーンやコンテナが転倒してしまい、大惨事につながりかねない。コンテナの重さは重いモノでは一つ30トンにもなる。船員や作業員が私に視線を向けて指示を仰いだ。でも、そのときの私はこのようなトラブルが初めてで、先輩が駆けつけるまで、ただ立ち尽くしていただけだった。
結局、翌日にはそのトラブルは解決したのだが、たった一日運航が止まっただけで船会社には大きな損失が出てしまう。一つ予定が狂えば、それ以降の運航スケジュールも変更を余儀なくされ、あらゆるところに影響を及ぼしてしまうのだ。判断を誤ることができないフォアマンという仕事の重要さを痛感した。そしてもう一つ気がついたことは、先輩の偉大さだった。その先輩にとっても未曾有のトラブルだったはずなのに、船員や作業員をまとめ、的確に現場を指揮していた。当たり前だと思っていた日常が、こうして支えられている。自分の目指すべき姿が、そこにあった。
それから一年たって、私はあのときより強い責任感を持って現場に立っている。だが、思いの外ほとんどトラブルは起こらない。起きてはならないからだ。そのことを誇りにしながら、これからも、何もない日々をつくり続けていく。

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