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歴史コラム 明治42年 東京編

世界一の大都市、江戸の倉庫の伝統を受け継いで誕生


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<世界最大の大都市、江戸に集まる物資を保管する倉庫>

江戸時代の物流といえば「天下の台所」と呼ばれた大阪が有名ですが、江戸(現在の東京)は幕府のお膝元であり、大阪とともに日本の物流の中心となっていました。1800年頃の人口推計で比較すると、江戸の人口は100万人と、北京の90万人、ロンドンの86万人、パリ54万人、大阪40万人を上回り、当時の江戸は世界最大の都市だったのです。さらに日本橋を起点として、江戸から東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道という5街道が整備され、江戸を中心とする人と物の動きが活発に行われていました。

江戸に集まる物資の中で、最も重要なものの一つは米でした。日本全国で徴収された年貢米の大部分は、江戸と大阪に送り出され、これらの御廻米(おかいまい)を収容する領主の倉庫施設は蔵屋敷(くらやしき)と呼ばれていました。一方で江戸時代中期になると、江戸や大坂の水運の便の良い河岸沿いには、問屋商人が所有する民間の倉庫である問屋敷が棟を連ね、倉庫地帯が形成されました。現在の三井住友銀行の源流の一つである三井両替店も、1740(元文5)年に、日本橋箱崎町一丁目の18棟の河岸蔵などが立ち並ぶ広大な倉庫群を買い入れています。


<三井銀行倉庫部から独立した、三井倉庫(東神倉庫)>

   

   明治33年頃 三井銀行 倉庫部                            

三井両替店は、1876(明治9)年に日本初の私立銀行である三井銀行に改組されました。その後、1886(明治19)年から1889(明治22)年にかけて「第一次企業勃興期」と呼ばれる、鉄道会社や紡績会社の設立ブームによる好景気が訪れました。しかし、好景気の反動として、1890(明治23)年には日本初の資本主義恐慌が訪れ、不良債権処理の問題が発生し、担保流れとして東京深川の仲川町と日本橋箱崎町三丁目の倉庫が三井銀行の所有になりました。箱崎町は江戸時代からの倉庫街であり、箱崎町三丁目の倉庫は北海道庁の前身である開拓史の産物会社のものでした。今では、創業の地である箱崎町三丁目の倉庫の跡地には、現在は三井倉庫箱崎ビルがそびえ、日本IBM箱崎事業所などが入居するインテリジェント・ビルになっています。


昭和45年ごろ 箱崎倉庫

これらの倉庫を出発点として三井銀行倉庫部が設立され、三井倉庫はそこから独立して、1909(明治42)年10月11日に東神倉庫株式会社として設立されました。東神倉庫と名付けられたのは、主な営業所が東京と神戸にあったことに由来します。三井倉庫(東神倉庫)の設立時の東京における最大の拠点であった箱崎町三丁目の倉庫は、江戸時代以来の伝統を持つ倉庫街にあり、三井倉庫もその伝統を引き継いで設立されました。東神倉庫の「東」の字には、江戸時代からの伝統を受け継ぎながら発展する、東京の拠点の存在が反映されているのでした。




東神倉庫 創立5周年記念写真

 横浜市立大学 准教授 山藤竜太郎

2015.4.24

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