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平成21年 創立100周年を迎える

「グローバル総合物流企業として、新たな飛躍の100年へ」

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<バブル景気と失われた20年> 

1973(昭和48)年と1979(昭和54)年の二度の石油危機による混乱を克服し、安定成長期を迎えていた日本経済は、1985(昭和60)年9月のプラザ合意によって再び大きな影響を受けました。プラザ合意とは、米国ニューヨークのプラザホテルで開催されたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)における、為替レートについての合意を指します。この合意は円高ドル安を誘導し、プラザ合意直前の1ドル240円台から2年後の1987(昭和62)年末には1ドル120円台まで円高ドル安が進展しました。急速な円高により製造業は日本国内では採算が合わなくなり、円高不況が発生するとともに、製造業の海外移転が本格化しました。

深刻な円高不況に対して、日本銀行はプラザ合意の翌年の1986(昭和61)年から5回の利下げを実施し、日本政府も内需拡大を目的とする公共投資拡大などの積極財政を採用したことで、結果的に土地や株式などへの投機が進んでバブル景気が発生しました。バブル景気は、景気動向指数(Composite Index、CI)によれば1986年12月から1991(平成3)年2月まで51ヶ月間続き、内閣府によれば好景気の実感はさらにあと1年間、1992(平成4)年2月まで継続したとされています。

バブル崩壊後の景気後退期は1991年3月から1993(平成5)年10月までとされています。しかし、厚生労働省によれば有効求人倍率(求職者に対する求人の件数)は1992年10月時点では1.02とまだ1倍を超えていたものの、翌1993年10月時点では0.70倍と1倍を切り、その後も1997(平成9)年10月の0.71まで0.7前後で推移し、さらに1998(平成10)年10月には0.49と0.5を割り込む状態に陥りました。バブル崩壊で発生した不良債権の処理が進まず、1997年11月に北海道拓殖銀行、1998年10月に日本長期信用銀行、1998年12月に日本債券信用銀行が相次いで経営破綻するという国内要因に加え、1997年7月に発生したアジア通貨危機が発生するという国際的な不況の波に襲われたのです。

日本経済は不良債権というバブル崩壊が残した重荷を背負ったまま、アジア通貨危機という新たな不況に見舞われ、その後もITバブルとその崩壊など景気の波を繰り返しつつも、有効求人倍率が1を割り込む時期が長く続きました。振り返ってみれば、バブル崩壊後は実感としての不況が長らく続き、「失われた20年」と呼ばれるようになりました。


<バブル崩壊後の物流とグローバル化> 

日本経済が失われた20年と呼ばれる長期不況に悩み続けた期間、物流の動きも同様に停滞していたのでしょうか?国土交通省によれば、国内貨物輸送量(輸送トン数)は1985年度が55億97256万トン、1990(平成2)年度は67億7626万トン、1995(平成7)年度は66億4301万トン、2000(平成12)年度は63億7102万トン、2005(平成17)年度は54億4558万トン、2010(平成22)年度は48億9158万トンとなっています。バブル景気の末期である1991(平成3)年度の69億1927万トンをピークに、国内貨物輸送量は年々減少しています。

一方で、国際貨物輸送量(輸送トン数)について見ると、1985年度の6億7480万トンから、1990年度には7億6950万トン、1995年度には8億5422万トン、2000年度には8億8974万トン、2005年度には9億4999万トン、2010年度には9億1445万トンとなっています。直近のピークである2008(平成20)年度には9億7009万トンから、2008年9月に発生したリーマン・ショックによる世界的な不況により、翌2009(平成21)年度には8億3251万トンと対前年比14.2%という大きな落ち込みを見せましたが、2010年には対前年比10.0%と急回復して9億トンを超えています。

国内貨物輸送は1991年をピークにバブル崩壊後20年間以上も縮小し続けているものの、国際貨物輸送はバブル崩壊後もほぼ一貫して拡大し続けているのです。もちろん、国内貨物輸送の総輸送量は減少しているとは言っても、顧客の求めるもの(ニーズ)は変化し続けているので、国内貨物輸送にもまだまだ大きな可能性はあります。けれども、物流全体の動向としては、国際貨物輸送の増大、つまりグローバル化の進展という大きな流れ(トレンド)が存在しているのです。


<三井倉庫のこれまでの100年とこれからの100年> 

三井倉庫は1909(明治42)年10月に東神倉庫株式会社として設立され、2009年10月に創立100年を迎えました。その間の1942(昭和17)年3月には三井倉庫株式会社と改称され、創立100周年後の2014(平成26)年10月には三井倉庫ホールディングスを持株会社とする持株会社制に移行するなど、社名や体制も時代に即して変化しています。事業内容についても、設立当初は社名通り倉庫保管が中心でしたが、港湾運送、陸上輸送、航空貨物など陸海空一貫した総合物流企業として発展してきました。

三井倉庫ホールディングスの藤岡圭社長は「三井倉庫には、創業百年の歴史のなかで培ってきた『保管』を中心とする優れた技術があります。その技術をコアコンピタンスとして国内で存在感を主張するのか、それとも世界に打って出てグローバル総合物流企業として変革を遂げるか。二つに一つの未来を考えたとき、私は後者の途を取るべきだと考えました」とインタビューで語っています。

バブル崩壊後の失われた20年の中でも、国際貨物輸送は着実に増大しており、グローバル化の進展を止めることはできません。三井倉庫グループは100年余りの歴史の中で、当コラムで紹介してきたように事業の幅を広げながら、総合物流企業としてのサービスを拡大してきました。この優れた対応力を活かしつつ、三井倉庫グループはグローバルな総合物流企業としてさらなる成長を遂げることが期待されます。


横浜市立大学 准教授 山藤竜太郎
2016.9.16

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