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昭和41年 戦後編

「顧客のニーズに対応して、自動車運送事業に進出」

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<世界トップレベルの高度経済成長> 

 「もはや戦後ではない」と1956(昭和31)年の『経済白書』に書かれたように、日本は戦後混乱期から戦後復興期を経て、1954(昭和29)年12月から1973(昭和48)年11月まで約19年間も続く、高度経済成長期に突入したのです。
 第二次世界大戦により多くの人命や設備などを失った日本は、1945(昭和20)年10月から1949(昭和24)年4月までの間に約100倍もの消費者物価指数の高騰というハイパー・インフレーションを経験し、経済的な混乱は戦後になっても続きました。しかし、1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争によって特需景気が発生したことで、日本はようやく戦後混乱期を脱し、本格的な戦後復興を果たすことができました。
 その後、日本は1955(昭和30)年から1973年まで実質経済成長率が平均9.8%という高度経済成長を経験することになりました。1978年12月に始まる改革開放施策の結果、中国の実質経済成長率も1980年から2014年まで平均9.8%となっており、現在の中国の経済成長に匹敵する著しい経済成長をかつての日本も経験していたのです。

 

<陸上輸送の主役は鉄道から自動車へ> 

 高度経済成長は大量生産とともに大量流通、大量販売をもたらし、物流の面でも大きな変化を生み出しました。1990(平成2)年の『運輸白書』によれば、国内貨物輸送量は1955年の約10億トンから1965(昭和40)年には約25億トン、1972(昭和47)年には約60億トンと、経済成長率を上回るペースでの増大が続きました。
 これは単に輸送量が増加しただけでなく、輸送を担当する手段の変化も伴っていました。1955年の時点でも、輸送トン数では自動車67.8%、鉄道24.6%、内航海運7.6%と既に自動車が主流となっていましたが、輸送距離も勘案した輸送トン・キロでは自動車9.7%、鉄道52.0%、内航海運38.3%と、長距離輸送中心に鉄道運送がまだ大きな役割を担っていました。1965年になると、輸送トン数では自動車83.5%、鉄道9.6%、内航海運6.9%と鉄道の割合が大きく減少し、輸送トン・キロでも自動車26.6%、鉄道30.3%、内航海運43.1%と自動車と鉄道が拮抗するようになりました。さらに1975(昭和50)年には、輸送トン数では自動車87.4%、鉄道3.6%、内航海運9.0%となり、輸送トン・キロでも自動車35.9%、鉄道13.1%、内航海運51.0%となるなど、陸上輸送の主力の鉄道から自動車への移行が明確になりました。

 

<倉庫業務の中心も保管倉庫から流通倉庫へ> 

 このような状況に対応するため、三井倉庫は1963(昭和38)年に大阪支店三島倉庫、1964(昭和39)年に名古屋支店西春倉庫、1967(昭和42)年に東京支店厚木倉庫と、高速道路のインターチェンジ付近に郊外倉庫を次々に建設しました。
 従来は市中倉庫による保管貯蔵を業務の中心としていたものの、郊外倉庫が増加したことで倉庫からの配送能力の強化が求められるようになりました。三井倉庫としても、顧客への迅速正確なサービスと経費の節減を求める物流需要に応えるため、末端配送だけでなく、貨主の物流業務を総合して引き受ける方向に次第に進んでいきました。荷役、保管、輸送だけでなくコンピューターによる正確な在庫管理と情報連絡や、仕訳、包装などの流通加工に至るまでの業務を一括処理し、良質で廉価なサービスの提供を目指した業容拡大が進展したのです。

 

<コンテナによる海陸一貫輸送> 

 

 日本の陸上輸送における自動車輸送の拡大と同時期に、世界的では物流において大きな変化が生じていました。それはアメリカのマルコム・マクリーン氏が発明したとされる、標準化されたコンテナによる荷役・輸送(コンテナリゼーション)です。マクリーン氏は1935(昭和10)年に高校を卒業してトラック輸送に従事する中で、貨物船の荷役に時間がかかりすぎることに大きな疑問を持ちました。その後、彼はトラック輸送会社を経営していましたが、1955年に自社を売却して代わりに海運会社を買収し、1956(昭和31)年にはコンテナ船による輸送を開始しました。
 マクリーン氏は海(Sea)陸(Land)一貫輸送という理想を込めて、1960(昭和35)年に海運会社の名前をシーランド(Sea-Land Service, Inc.)と改称しました。シーランド社は1966(昭和41)年にアメリカ大西洋岸-ヨーロッパ航路にコンテナ船を投入し、1968(昭和43)年にはアメリカ太平洋岸-日本航路にコンテナ船を投入するなど、コンテナリゼーションを牽引する存在でした。シーランド社の国際定航部門は1999(平成11)年にデンマークのマースク社に合併されてマースク・シーランド社となり、2006(平成18)年には現在の社名のマースク・ライン社となっています。

 

<自動車運送業の開始> 

 三井倉庫は従来、サービスとして貨主のために運送の手配をすることはあっても、自社で運送を引き受けることはありませんでした。しかし、三井倉庫はまずは自動車運送取扱事業に進出することになりました。自動車運送取扱事業では運送を自営できないため、各店で自動車運送業者を選定し、1966年に東京支店と横浜支店、1967年に名古屋支店と大阪支店、神戸支店、門司支店で事業登録を受けました。
 三井倉庫の陸運業務が飛躍的に拡大発展する契機となったのは、1968年にシーランド社の業務をはじめとして、海上コンテナの運送を開始したことです。三井倉庫は海上コンテナの輸送をきっかけに陸上運送も自営する方針を定め、1969(昭和44)年に神戸支店と横浜支店、1971(昭和46)年に名古屋支店、1972年に門司支店で貨物自動車運送事業の免許を取得しました。

 日本国内では1950年代半ばから陸上輸送の鉄道から自動車への移行が発生し、それにともなって高速道路のインターチェンジ付近に流通団地倉庫が次々と建設されることで、倉庫業務も市中倉庫による保管貯蔵から郊外倉庫を中心とした総合物流へと発展していきました。さらに、コンテナによる海陸一貫輸送が国際的に進む中で、三井倉庫はコンテナリゼーションの先駆者であるシーランド社などのコンテナターミナル作業と陸上運送の委託を受けて、陸上運送業務を大きく発展させました。輸送手段の移行という時代の変化を捉え、顧客のニーズに対応しながら業容を拡大したことが、現在の三井倉庫の幅広い業務にもつながっているのです。


 

 横浜市立大学 准教授 山藤竜太郎

2015.11.27

 

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