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昭和57年 航空貨物編

「陸と海に続き、空飛ぶ新たな貨物輸送の時代に対応」

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<航空郵便や旅客機を利用した小口貨物輸送の時代> 

 「かんじんなことは目に見えないんだよ」というフレーズで有名な、『星の王子さま』の著者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、小説家であると同時に飛行士でもありました。1900年生まれのサン=テグジュペリは、1926年に郵便飛行士となったものの、1927年にはサハラ砂漠、1935年にはリビア砂漠に不時着して遭難を経験しています。彼の飛行士としての経験や砂漠での遭難も、『星の王子さま』のストーリーに反映されているのです。
 サン=テグジュペリが航空郵便の飛行士だったように、航空貨物輸送は郵便輸送から始まりました。ライト兄弟が1903年に世界初の有人動力飛行に成功し、1911年頃から不定期の航空郵便事業が、1918年には定期の国際航空郵便事業が始まりました。1935年にはダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)のDC-3が初飛行しましたが、この飛行機は定員21名と当時としては画期的な大型の機体でした。DC-3が翌1936年から運用開始されると定期旅客便事業が拡大し、旅客機を利用したベリー(Belly)便による小口貨物の輸送も始まりました。

 

<貨物専用機による航空貨物の時代> 

 欧米で航空貨物輸送が急速に拡大したのは1960年代以降です。1958年にボーイング社のボーイング707が、翌1959年にダグラス・エアクラフト社のDC-8が就航したことで、一気にジェット旅客機の時代が到来しました。ボーイング707やDC-8は、従来のプロペラ機に比べて巡航速度も乗客数も約2倍という高性能を誇りました。これらの旅客機を貨物専用にした機体によるフレーター(Freighter)便も本格化し、貨物型のボーイング707Fで最大貨物搭載量約40トン、DC-8Fで最大貨物搭載量約50トンもの航空貨物を輸送できるようになりました。
 航空貨物量をさらに拡大させたのは、「ジャンボ・ジェット」の愛称で親しまれたボーイング社のボーイング747の存在です。ボーイング747は1970年に就航しましたが、当時は英仏共同開発のコンコルドが1969年に初飛行し、ボーイング社自身もボーイング2707を開発中で、いずれはコンコルドやボーイング2707などの超音速機が旅客機の主流になると考えられていました。ボーイング747は超音速機の普及後に貨物専用機として転用することも想定し、操縦席を上部デッキに配置する2階建てになっており、貨物型では機首部分が上方向に開く「ノーズドア」になっている機体もあります。その結果、貨物型として現在一般的な747-400Fで120トン、最新型の747-8Fで140トンと、ボーイング707FやDC-8Fの約3倍の最大貨物搭載量を持つようになりました。

 

<認可基準を達成して三井倉庫としてIATA航空貨物代理店へ> 

 欧米から約10年遅れ、日本でも1970年代以降に国際航空貨物輸送が急拡大しました。1970(昭和45)年度には約3万5,000トンであった輸出入航空貨物量は、5年後の1975(昭和50)年度には約11万トン、さらに5年後の1980(昭和55)年度には約30万トンに急増しています。
 三井倉庫も航空貨物輸送の将来性に着目し、早くも1967(昭和42)年の企画室の発足時から、1978(昭和53)年の成田空港の開港と関連した航空貨物取扱業務の検討が始まっていました。その後、1978年12月にオランダのVan Gend & Loos N. V.(VGL)社と航空貨物の集貨および取扱代理店契約を締結したことで、国際航空貨物の取扱業務を本格的に開始しました。VGL社とは1977(昭和52)年4月から業務提携を開始しており、翌1978年11月には運送業と倉庫業を主体とした国際複合輸送代理店を行う会社として、オランダの貿易拠点であるロッテルダムにMitsui Soko B. V.を三井倉庫とVGL社の合弁で設立する関係でした。
 国際航空貨物の取扱業務開始から1年半を経過した1980年秋には、得意先が150社を超え、京浜地区における取扱件数は月間150件に及び、ロンドンやアムステルダムを中心としたヨーロッパ向け貨物を中心に業績は順調に推移しました。同年11月には東京支店(箱崎事務所)と名古屋支店(中川事務所)に航空貨物センターを設置し、通関業務を除いた現業部門の自営体制を確立しました。
 しかし、IATA(International Air Transport Association、国際航空運送協会)貨物代理店のサブエージェントとしての立場には限界があったため、年間売上高や組織・職員・諸施設などの認可基準を達成した1982(昭和57)年4月に、IATAに対して航空貨物代理店の認可申請を行いました。三井倉庫は同年6月に日本で42番目のIATA航空貨物代理店として認可され、京浜地区と名古屋地区に続いて、関西や九州でも航空貨物取扱業務を開始しました。

 倉庫業単独から、陸運、海運を結ぶ総合物流業務へと三井倉庫の業容が拡大する中で、時代の変化に敏感に対応して、航空貨物輸送へも進出することになりました。三井倉庫は海運と航空貨物を結びつけたSea & Air Serviceの商品開発も行い、1984(昭和59)年には米国ロサンゼルス経由とシンガポール経由でのSea & Air Serviceを展開するなど、荷主のニーズに応えて三井倉庫は海外ネットワークを整備して行きました。


 

 横浜市立大学 准教授 山藤竜太郎

2016.5.31

 

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